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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)986号 判決 1984年4月25日

昭和五五年(ネ)第九八六号事件控訴人

同年(ネ)第一〇一五号事件被控訴人

(第一審原告)

石井鐵志郎

右訴訟代理人

田中紘三

昭和五五年(ネ)第一〇一五号事件控訴人

同年(ネ)第九八六号事件被控訴人

(第一審被告)

小林運送株式会社

右代表者

小林栄

昭和五五年(ネ)第一〇一五号事件控訴人

同年(ネ)第九八六号事件被控訴人

(第一審被告)

小島与一

右第一審被告両名訴訟代理人

原長一

桑原収

小山晴樹

森本紘章

渡辺実

藤田久一

堀内幸夫

主文

一  第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のように変更する。

第一審被告らは、第一審原告に対し各自金二四六四万二八一一円及び内金二三一二万二八一一円に対する昭和五一年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審被告らの本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じて二分し、その一を第一審原告の負担とし、その余を第一審被告らの負担とする。

四  この判決中、金員の支払を命ずる部分は仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件事故の発生状況、第一審被告らの責任原因及び過失相殺の主張に対する当裁判所の認定及び判断は、原判決がその一二枚目表二行目から一三枚目裏一〇行までにおいて説示するところと同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決一二枚目表三行目の「原告」の次に「(原審)」を加え、一三枚目表六行目の「ゴム輪の留め金から外れたまま」を「ゴム輪が留め金から外れたのに気が付かないで」に改める。)。

二1  次に、第一審原告が本件事故により被つた傷害及び後遺症の有無、程度について判断するに、<証拠>を総合すると、第一審原告が本件事故により受傷してから現在に至るまでの診療の経過及び現在の症状は次のとおりであると認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  第一審原告は、前記引用に係る原判決の判示のとおり路上に転倒した際、左肘部、腰部左側を路面で強打したが、直ぐに起き上がり停止線のところに停止した被告車の運転席に近づき、左側窓ガラスを叩いて第一審被告小島に対し本件事故のあつたことを告げてから、路上に倒れていた自転車を第一審被告小島と共に被告車の荷台に積み込んだ上これに同乗して倉本病院に行き、前記打撲部位等の応急治療を受けた後、そこから第一審原告方に戻り、同所で第一審原告、第一審被告小島に訴外堀武夫(第一審被告会社の事故係)と第一審原告の甥を交えて示談交渉を行つたが、合意が成立しなかつたため、第一審原告の申出で、共に船橋警察署に出頭して担当の警察官に前記事故の発生を報告し、その状況を説明した後、再び第一審原告方に戻り、第一審被告小島及び訴外堀連名による第一審原告の損害を賠償する旨の書面(甲第二号証)を差入れさせた。

(二)  ところが、翌七月一日になつて第一審原告はほぼ全身にわたる痛みを覚えるようになつたので、同日から同月二一日までの二一日間、田辺整骨科院(接骨師訴外田辺修司)の往診を受け、同月二二日から同年八月三一日までは引き続き同院に通院(実日数三五日)して右田辺の施療を受けたが、八月三一日の時点で原告にはなお頸部運動痛、左胸部圧痛、左肩筋肉痛、腰痛等の主訴があつた。

(三)  第一審原告は、同年一〇月一日、突然、左半身にけいれん様の発作が起こり、左片まひの症状が現れたため、同日直ちに倉本病院に入院し、昭和五二年四月三日までの一八五日間同病院に入院して治療を受けたが、その間同病院では第一審原告に対し主として外傷性頸腕症候群の疑いがあるとして治療を加えた(なお、第一審原告は右入院前の昭和五一年八月二六日にも頭痛等の主訴で同病院に通院している。)。

(四)  その後第一審原告は、転院して昭和五二年四月四日から同年八月三日までの一二二日間船橋病院に入院したが、右入院期間における第一審原告の主訴は、頭痛、頭重感、頸部痛、左肩・左腕のしびれと同部位の疼痛、腰痛、左下肢痛、左上下肢脱力感というもので、右主訴は入院当初以来退院時まで変わることがなく、同病院では前記倉本病院とほぼ同様に、第一審原告の症状を頸部捻挫による外傷性頸腕症候群(殊に、右症候群のうち、いわゆる不定愁訴の性格を有する、「バレリュー型」)のほか、頸部外傷に基因する頸髄障害による左片まひが加わつているものと見て治療を加えた(なお、第一審原告は、右入院期間を除き、そのほかにも昭和五二年三月一六日から同年一〇月三一日までの間に四日間同病院に通院している。)。

(五)  第一審原告は、昭和五二年八月一六日から一〇月二四日までの七〇日間甲州病院に入院し、左片まひの治療のための理学療法を受けたほか、機能回復訓練を行つた。同病院での第一審原告の主訴は腰痛、左下肢痛、歩行障害、頸部痛、頭痛というもので、左上下肢のしびれ及び脱力感や左上肢のけいれんを訴えたこともあつた。同病院は、頸椎捻挫、左肩関節拘縮等の診断のもとに主として機能回復訓練を施した。

(六)  第一審原告は、その後船橋病院に通院したことがあるほかは、自宅で療養していたが、昭和五六年六月一五日東大病院に入院して治療を受けた。同病院における第一審原告の主訴は、頭痛、頂部痛、肩甲部痛、腰部痛、股関節部痛、両上下肢、特に左側の筋力低下というものであり、神経学的症状としては、左上下肢の筋力低下(五分の四ないし三程度)、左上肢の筋萎縮(軽度)、右上下肢の筋力低下(五分の四程度)が認められ、全体にやや亢進し、病的反射はなく、感覚障害は認められないというものであつた。同病院は、頸椎単純レントゲン線撮影の結果第三・第四頸椎間及び第四・第五頸椎間に軽度の後方骨棘形成及び頸椎管の狭小化を、頸髄ミエログラフィーにより右同部位での後方へ突出した骨棘ないし陰影欠損を認め、第一審原告にみられる症例を頸椎症と第三・第四頸椎間及び第四・第五頸椎間での頸椎ヘルニアが合併したものであると考え、前方固定術、椎間板及び骨棘切除の手術を施行した。右手術時に後記のようにディスコグラフィーを実施したところ、椎間板線維輪の断裂が認められたことから、本症例を頸椎椎間板ヘルニアと診断した。第三・第四頸椎間及び第四・第五頸椎間における骨棘を切除する右手術を施行したことにより首、肩、腰部等の痛みは著しく軽減したが、上下肢の運動能力については著明な改善はみられなかつた。

(七)  第一審原告は、昭和五六年九月一五日から昭和五七年二月二五日まで一六四日間六高台病院に入院し、同年六月三〇日から七月一一日までの一二日間東京病院に入院して治療を受け、現在は右東京病院に通院する傍ら自宅で療養しているが、今後前記各症状が改善される見込みはなく、頭痛を伴う左右上下肢の運動機能障害が残存している。

2  <証拠>を総合すると、頸椎部位の疾病である頸部椎間板症候群の発生機序及び症状等について次のことが認められる。

(一)  椎間板の障害により頸神経根、頸髄またはその両者が圧迫されて神経学的な自・他覚的症状を呈するものを頸部椎間板症候群といい、頸部のせき髄、神経根症状を呈するすべての疾患、(内科的疾患、外科的疾患のすべてを含む。)の約三分の一を占めるとされており、極めて頻度の高い疾患で四〇歳代以降の男性に好発し、発生部位は、頸椎でも首の動きに伴つて最も動きの大きい部分である第五・第六頸椎間(C5-6)に最も多くて全体の約三五パーセントを占め、第四・第五頸椎間(C4-5)、第六・第七頸椎間(C6-7)がこれに次ぎそれぞれ約二五パーセントを占める。残りが第三・第四頸椎間(C3-4)、第七頸椎・第一胸椎間に発生する。老年性の変化で椎間板の狭小化、骨棘の形成を認める例は少なくなく、五〇歳以上の高齢者では、単純レントゲン線撮影によりその五〇パーセントに右のような変化が認められ(しかし、レントゲン線上の変化のみで何らの神経学的症状を伴わないものは、単なる加齢的変化であつて、疾患と考えないのが一般的である。)、肉体労働者により多発するとされている。

(二)  頸部椎間板症候群のうち、変性に陥つた髄核が脆弱化した線維輪を破つて椎管内に突出したものまたは破れた線維輪から髄核が椎管内に脱出したものを頸椎ヘルニア(ソフトディスクヘルニア)といい、外傷が直接の原因となつて線維輪の断裂が生じて、その部位から髄核の脱出を来たす例が七〇パーセントくらいを占めるが、特に思い当たる要因がなくて発症するという例も少なくない。外傷とはいつても、強い衝撃を伴うものだけでなく、小さな事故ないし衝撃の積み重ねで発症することがないとはいえない。頸部椎間板症候群のうち、椎間板の変性などが原因となつて椎体縁に骨棘が形成されてせき椎管や椎間孔に突出し、せき髄や神経根を圧迫するのがせき椎症(頸椎スポンジローシス)である。頸椎ヘルニアでもせき椎症でも、髄核又は骨棘の突出の方向が外側であれば根のみが圧迫され、中心線上であればせき髄が、その中間であれば根とせき髄の両者が圧迫を受ける。せき椎管の前後径には先天的な個人差があるが、せき髄の太さにはあまり大きな個人差がない。そのため、同程度の骨棘の形成があつてもせき椎管の太い例では症状を発現せず、先天的にせき椎管の細い例では強いせき髄の圧迫症状を発現してくる。

(三)  頸部椎間板症候群の初発症状は、頸部痛、特に頸部の運動痛、頭痛から片側の神経根症状、すなわち片側上肢のしびれ感、感覚過敏、肩にかけての放散痛などである。これが次第に他の側に及んだり、日時の経過とともに根支配域の感覚鈍麻、筋力の低下、筋萎縮などに移行する。圧迫がせき髄に及べば、初期には脚がつつぱる、階段の降りが困難、スリッパが脱げやすいなどの症状を呈し、さらに進行すると歩行不能、排尿・排便障害などを呈してくる。頸椎ヘルニアの場合には二、三箇月から数箇月の進行性の経過をとるのが普通であるが、せき椎症の場合には数箇月から数年という非常に緩徐な進行性の経過をとる。

他覚的には上肢の根支配に一致した感覚低下、筋萎縮、筋力低下などを認め、下肢には典型的なけい(痙)性まひを認める。

3  <証拠>によると、東大病院脳神経外科の医師浅野孝雄は、前記認定の手術を施行した際、頸椎を露出し、椎間板の内部に造影剤を注入する検査(ディスコグラフィー)を施行したところ、第三・第四頸椎間及び第四・第五頸椎間において頸椎後方外側への造影剤漏出が確認され、椎間板線維輪に断裂が生じていることが認められた。更に手術を進めたところ、右断裂部位から変性し、少し硬化した髄核が突出しており、第三・第四頸椎間、第四・第五頸椎間において骨棘が形成されていた。通常頸椎症の完成された形での骨棘は非常に硬く、エアードリル等の用具を使用して切除する程であるが、第一審原告に認められた骨棘は石灰化の程度が極めて低いため比較的軟かく、スプーンを使用すれば簡単に切除できる程度であり、そのため、形成されてから余り年月が経つていないと考えられた。更に同医師が昭和五七年七月一二日に第一審原告について最新鋭のCTスキャナー等による検査をしたところ、第五・第六頸椎間、第六・第七頸椎間を中心として椎体後方への骨棘形成が認められ、第三・第四頸椎間、第四・第五頸椎間、第五・第六頸椎間及び第六・第七頸椎間の骨棘はいずれも左側に片寄つて形成されていた。一方第一審原告には関東労災病院の鑑定時(昭和五三年一一月ないし一二月)において、既に頸椎せき椎管狭小化(第四頸椎せき椎管前後径一〇ミリメートル)が認められ、右鑑定時に行われたスパーリングテストの結果、椎間板ヘルニアに特徴的な頭を押すと痛むという反応が認められた。第一審原告は昭和一二年六月二一日生れで本件事故当時満三九歳であり、熔接工として肉体労働に従事していた者である(右年齢及び職業は、<証拠>によつて認められる。)。以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の事実に前判示の本件事故の態様、受傷後の診療の経過並びに頸部椎間板症候群の発生機序及び症状等を併せ考慮すると、第一審原告は、先天的に頸椎せき椎管狭小であり、又、加齢的変化として頸椎間にある程度の骨棘形成があつたところ、本件事故による衝撃により頸椎線維輪の断裂を来たし、右断裂部位から髄核が狭小な頸椎せき椎管内に徐々に脱出して頸椎ヘルニアを生じ、その影響により数年の年月をかけて頸椎軟組織の病変である右頸椎ヘルニアに対して反応的に骨棘が形成され、右髄核及び骨棘により頸椎せき椎管内の神経根が圧迫されて前判示の症状を発現しているものと認められ、その疾病は頸椎椎間板ヘルニアであつて、第一審原告に残存している後遺症はこれにより神経系統の機能に生じた障害による(頭痛を伴う)左右上下肢の運動機能障害であると認めるのが相当である。そして、前判示の診療の経過によると、第一審原告の右後遺症は、昭和五二年八月三日に固定したものと認められる(第一審原告に残存する後遺症が右同日固定したものであることは当事者間に争いがない。)。

ところで、<証拠>によると、船橋病院及び甲州病院が第一審原告に対して行つた検査(反射)では頸椎ヘルニアに特有な反射は陰性であつたことが認められるが、一方前掲鑑定嘱託の結果では、第一審原告には右鑑定時において錐体路障害を示唆する腱反射亢進(特に左側著明)の事実が認められており、前判示のように頸椎線維輪に断裂を生じてから骨棘形成に至るまで数年を要していることを考えれば、両病院の検査結果がただちに前段の判断と矛盾するとはいい難い。

更に<証拠>によると、右嘱託を受けた関東労災病院の馬杉則彦医師(脳神経外科)及び高橋定雄医師(整形外科)は、第一審原告の症状を脳血管障害によるものである旨診断したが、その理由は、CTスキャナーによる検査によると右前・側頭葉に陳旧性の脳出血あるいは脳硬塞を疑わせる所見があり、第一審原告が受傷前から高血圧症があつたこと及び受傷から約三箇月後に左半身にけいれん発作を起こしたことを申告し、かつ左片まひ及び左顔面神経まひがあつたことなどにあることが認められる。しかし、原審における東大病院に対する鑑定嘱託の結果によると、関東労災病院において右の検査に使用されたCTスキャナーは開発初期のものであつて画質が良くなく、異常所見がないからといつて小さな病変を否定し去ることはできないものの、右CTスキャナーによるコンピューター断層撮影の結果においては、明らかな脳器質的疾患等を示唆する異常所見は認められなかつたことが認められる上に、受傷から約三箇月後に左半身にけいれん発作を起こしたとの点も<証拠>によると、馬杉医師は、船橋病院の診療録のうち、第一審原告又はその家族からの申告をそのまま記載した部分を参照してそのように判断したというものであるところ、けいれん発作が生じたことは第一審原告本人尋問の結果(原審)中にその旨の供述があるばかりで、裏付けとなるものがなく、しかも、第一審原告自身、けいれんの意味を誤解している疑いもある(当審の本人尋問の結果による)ので、第一審原告にけいれん発作があつたかどうかは極めて疑わしいといわざるを得ない。そして、<証拠>によると、脳血管障害には通常首の痛みや肩の痛みなどの症状を伴うことはなく、発症後数年経過しても未だ症状が残つている程度の脳血管障害があるものとすれば、CTスキャナーによる検査によつて何らかの異常所見が認められるものであるところ、浅野医師の最新鋭のCTスキャナーによる検査では、脳自体に特記すべき異常所見は見当たらなかつたことが認められるのであつて、以上の事実からすると、第一審原告に認められる症状が脳血管障害によるものとすることは相当でない。

次に、第一審被告らは本件事故と頸椎椎間板ヘルニアとの因果関係を争うので検討するに、頸椎には加齢的変化により骨棘が形成される例が少なくないこと及び外的要因がなくても発症する例も少なくなく、肉体労働者に多発するものであることも前判示のとおりである。しかしながら、上来認定の事実に照らせば、本件頸椎椎間板ヘルニアが本件事故による受傷が原因となつて発症したことの蓋然性は極めて高いというべきである。そして、<証拠>によると、第一審原告は昭和五二年六月一四日船橋病院に入院中自宅において転倒し前額部を打撲して三センチメートルないし四センチメートル長の切創を負つたことが認められるが、<証拠>によると、船橋病院に入院中における第一審原告の自・他覚的症状は右六月一四日を境として著明な変化があつたとは認められない上に、第一審原告にはその前後にわたつて一進一退する頸椎椎間板ヘルニア特有の症状が認められるのであつて、このことからすると、右の転倒事故が原因となつて本症が発症したものと認めることはできないし、本件事故により発生した頸椎椎間板ヘルニアが右の転倒事故により更に進行し、症状を悪化させた蓋然性も低いといわざるを得ない。更に、<証拠>によると、第一審原告は昭和五一年八月八日自転車で転倒したことが認められるが、右証拠によつてはその態様等は何も明らかではなく、他にこれを明らかにする証拠はない。そして、<証拠>によると、第一審原告は、同年八月二七日に右転倒事故を申告して訴外国立国府台病院において診察を受けたが何らの異常も認められなかつたことが認められ、<証拠>によると、第一審原告には本件事故による受傷後右八月八日の転倒事故までの間にも頸部運動痛等の症状があつたこと、同年七月一日から二一日までの間は起立困難で付添を要する程の症状であつたことが認められるから、右八月八日の転倒事故の存在は、本件事故と頸椎椎間板ヘルニアとの間に認められる相当因果関係に何らの影響を及ぼすものではないというべきである。

三そこで、第一審原告に生じた損害について判断する。

1  入、通院治療費 金三二一万七五七〇円

(内訳)

(一) 田辺整骨科院 金八三万二〇〇〇円

<証拠>によると、第一審原告は田辺整骨科院での通院(往診を含む。)治療費として金八三万二〇〇〇円を要したことが認められる。

(二) 倉本病院 金一〇〇万六〇一〇円

<証拠>によると、第一審原告は倉本病院での入、通院治療費として金一〇〇万六〇一〇円を要したことが認められる。

(三) 船橋病院 金九五万六五〇〇円

<証拠>によると、第一審原告は船橋病院での入、通院治療費として金九五万六五〇〇円を要したことが認められる。

(四) 甲州病院 金四二万三〇六〇円

<証拠>によると、第一審原告は甲州病院での入院治療費として金四二万三〇六〇円を要したことが認められる。

2  入院雑費 金三三万一八〇〇円

第一審原告が倉本病院に一八五日間、船橋病院に一二二日間、甲州病院に七〇日間、六高台病院に一六四日間、東京病院に一二日間の合計五五三日間入院したことは前記認定のとおりであり、右入院期間中、入院雑費として一日当たり少なくとも金六〇〇円、合計金三三万一八〇〇円を支出したことが推認される。

3  入、通院慰謝料 金二〇〇万円

第一審原告が前記認定の入、通院により精神的苦痛を被つたことは推認に難くなく、右精神的苦痛を慰謝するのに相当な金額は金二〇〇万円とするのが相当である。

4  後遺症による慰謝料 金五〇〇万円

第一審原告は、前記認定のとおり本件事故による傷害の治療を受けたが、後遺症が残存していることが認められ、これにより多大の精神的苦痛を被つていることが推認されるところ、右後遺症の内容・程度、第一審原告の年齢・職業等一切の事情をしんしやくすると、右精神的苦痛を慰謝するのに必要な金額は金五〇〇万円とするのが相当である。

5  逸失利益(休業損害を含む)金一五八四万五一一一円

<証拠>によると、第一審原告は本件事故当時訴外有限会社広野工業所に半自動アーク熔接見習工として勤務し、昭和五〇年六月から昭和五一年五月までの間に一箇月平均金一四万四三八七円(円未満切り捨て。)の収入を得ていたところ、本件事故後欠勤し、給与の支給を受けておらず、現在に至るまで生活保護法に基づく給付を受けていることが認められる(生活保護法に基づく給付を受けていることは当事者間に争いがない。)。ところで、前記認定の本件事故による受傷及び後遺症の内容、程度を考慮すると、第一審原告は、本件事故により、事故の翌日である昭和五一年七月一日から前認定の後遺症が固定したと認められる昭和五二年八月三日までの期間休業による損害を被つたものであると認められる(第一審原告は、当審における請求拡張後においては、本件事故の日の翌日からの労働力喪失による逸失利益の賠償を求めるのであるが、本件訴訟の経緯に照らすと、右は後遺症固定の日までの休業による損害の賠償を求める趣旨を含むものと解される。)。そして、その損害の額は、金一八九万一〇〇三円(円未満切り捨て。)であると認められる。更に、第一審原告は、昭和五二年八月四日から労働可能の全期間にわたり、前記後遺症によりその労働能力の五五パーセソトを喪失したものと認めるのが相当であるから、右原告の事故前の収入を基礎とし、労働力喪失期間を満六七歳に達するまでの二七年間とし、ライプニッツ式係数を用いて年五分の割合による中間利息を控除して昭和五二年八月三日当時の逸失利益の現価を計算すると、次の算式のとおり金一三九五万四一〇八円(円未満切り捨て。)となる。そして、前記金一八九万一〇〇三円(休業による損害)を加えると金一五八四万五一一一円となる。

6  損害のてん補 金三一九万七八七〇円

第一審原告が本件事故による傷害の治療費として自動車損害賠償責任保険から金八三万二〇〇〇円、社会保険から金二三六万五八七〇円の合計金三一九万七八七〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、その限度で損害はてん補されたかあるいは損害賠償請求権を失つたというべきである。

7 第一審被告らは、第一審原告は本件事故による傷害のため稼働することができず、収入がないとの理由で生活保護法に基づく給付を受けているので、第一審原告はこれにより右給付相当額の利益を受けたものとして、その額を本件損害額から控除すべきであると主張する。そこで検討するに、第一審原告が生活保護法に基づく給付を受けていることは前判示のとおりである。しかしながら、交通事故による被害者がそのために職を失い、しかも加害者との間において損害賠償の責任や範囲等について争いを生じ、直ちに賠償を受けることができない場合には、利用し得る資産(債権)はあるが急迫した事由がある場合に該当するとして、例外的に保護を受けることができる(生活保護法四条三項)のであり、必ずしも本来的に保議を受ける資格を有するものではない。したがつて、このような保護受給者は、のちに損害賠償の責任範囲等について争いがやみ賠償を受けることができるに至つたときは、その資力を現実に活用することができる状態になつたのであるから、同法六三条により費用返還義務が課せられるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四二年(オ)第一二四五号、同四六年六月二九日第三小法廷判決、民集二五巻四号六五〇頁参照)。これを第一審原告についてみると、第一審原告が同法に基づく給付を受けるに至つた原因は前判示のとおりであるところ、<証拠>によると、保護の実施機関は、第一審原告が本件事故による損害の賠償を受けることができた場合には同法六三条により返還義務が生じるとの前提で同法四条三項を適用して保護を開始したものであることが認められる。そうすると、第一審原告が受けた同法に基づく給付は、第一審原告が本件損害の賠償を受けることができるに至つたときは返還義務を課せられるものであるから、これを損益相殺の法理により、又は損害がてん補されたものとして、本件損害の額から控除することはできないものというべきである。

8  第一審被告らは、第一審原告の本訴請求に係る損害賠償請求権のうち、当審における請求拡張部分に相当する部分は時効により消滅した旨主張するので判断する。本訴請求のうち第一審原告が当審において拡張した(請求の趣旨変更申立書は昭和五八年三月二八日提出)部分は、入、通院慰謝料、逸失利益及び慰謝料であるから、以下各費目毎に検討する。

(一)  第一審原告は、入、通院慰謝料として、原審においては金一五万二四〇〇円(一日当たり金六〇〇円で二五四日分)を請求していたところ、当審においてこれを金三三万一八〇〇円(一日当たり金六〇〇円で五五三日分)に拡張して請求するものである。このうち、六高台病院に入院した一六四日分及び東京病院に入院した一二日分の合計一七六日分金一〇万五六〇〇円については、後に判示するところから明らかなようにそれぞれその入院のころ(六高台病院は昭和五六年九月一五日、東京病院は昭和五七年六月三〇日)その損害を知つたものというべく、未だ三年の時効期間は経過していないから、この点に関する第一審被告らの右主張は理由がない。しかし、右請求拡張部分のうち残りの一二三日分金七万三八〇〇円は、昭和五一年一〇月一日から昭和五二年一〇月二四日までの間に生じた入院雑費の合計三七七日分金二二万六二〇〇円の一部であるから、第一審原告は遅くとも昭和五二年一〇月二四日にはその損害及び加害者を知つたものというべく、昭和五五年一〇月二四日の経過をもつて時効により消滅したものというべきである。この点について第一審原告は、右請求拡張部分は拡張前の請求と訴訟物を同じくするものであるから、本訴の提起により時効中断の効力が生じている旨主張するのであるが、第一審原告は、原審において弁論終結時までの入院期間三七七日分のうち二五四日分金一五万二四〇〇円のみを請求することを明示していた(第一審原告の昭和五三年二月三日付け準備書面)のであるから、その余の一二三日分金七万三八〇〇円については訴訟係属の効果が及ばず、したがつて時効中断の効力は生じないものといわなければならない。第一審原告の右主張は理由がない。

(二) 第一審原告の慰謝料(入、通院分及び後遺症分)及び逸失利益の請求拡張は、入、通院慰謝料が原判決後に更に入院して入院期間が長くなつたことを理由とするものであることを除いては、第一審原告に前判示のとおりの後遺症が残存することが確定したことを理由とするものである。そこで、原審における逸失利益に関する第一審原告の主張をみると、第一審原告は、本件事故による後遺症を自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害別等級表七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの。)に該当するとし、かつ、昭和五二年一一月一日から昭和五三年二月三日付け準備書面提出時まで引き続き加療中であり、右後遺症は昭和五三年二月一日から少なくとも七年間残存するものであるとした上で、その間の労働力喪失による逸失利益及び右後遺症による慰謝料を請求していたものであることが明らかである。そして、当裁判所に顕著な本件訴訟の経過、前判示の診療の経過(二、1)及び第一審原告の症状についての当裁判所の認定及び判断(二、2及び3)に照らすと、第一審原告は、昭和五六年六月東大病院において頸椎の単純レントゲン線撮影、頸髄ミエログラフィーによる検査及びディスコグラフィー検査等の結果、頸椎椎間板ヘルニアの診断を受け、前方固定術、椎間板及び骨棘切除の手術を受けたことにより、首、肩、腰部等の痛みは著しく軽減したものの、上下肢の運動能力については著明な改善がみられなかつたことから、本件事故による傷害により生じた疾病が頸椎椎間板ヘルニアであり、そのために生じた前認定の後遺症が今後改善される見込みがなく、第一審原告の生涯にわたつて継続するものであることを知つたものと推認され、右推認を動かすに足りる証拠はない。したがつて、第一審原告は、昭和五六年六月ころ右後遺症による損害を知つたものというべく、三年の時効期間は経過していないから、第一審被告らの前記主張は理由がない。

9  そうすると、損害額の合計は入、通院治療費金三二一万七五七〇円、入院雑費金三三万一八〇〇円、入、通院慰謝料金二〇〇万円、後遺症による慰謝料金五〇〇万円、逸失利益金一五八四万五一一一円の合計金二六三九万四四八一円であるところ、前認定の損害のてん補等により入、通院治療費が金三一九万七八七〇円、消滅時効により入院雑費が金七万三八〇〇円それぞれ消滅したから、右損害額のうち第一審原告において賠償を求め得る弁護士費用を除く損害賠償請求権の価額は金二三一二万二八一一円となる。

10  弁護士費用 金一五二万円

第一審原告がその訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起及び維持を委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、審理の経過及び認容額並びに弁護士費用としての請求額などを考慮すると、弁護士費用は、金一五二万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

四以上の認定及び判断の結果によると、第一審原告の本訴請求は、第一審被告らに対し、各自金二四六四万二八一一円及び内金二三一二万二八一一円に対する本件不法行為の日以降の日である昭和五一年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、この限度でこれを認容し、その余は失当であるから、これを棄却すべきである。

よつて、当裁判所の右の判断と一部符合しない原判決を第一審原告の控訴に基づき主文のように変更し、第一審被告らの本件控訴は理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(吉江清景 川上正俊 渡邊等)

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